平凡な私が月300万円稼ぐ7つの理由
プライドを捨てるとチャンスが広がる
「プライドが邪魔をする」という言葉があります。
無心でやれば難なくできることなのに、
プライドという自意識のお陰で、「そんなことはプライドが許さないから私にはできない」というような
ことなのでしょう。
そういうのは、いわば才人の論理です。
「自分はこんなことをうけいれるほど能無しではない」とか。
「そんな安易なことで金を手に入れるのは才人である自分がやるべきことではない」というような才人の誇り
と美意識、それを大切にして、いい仕事をして、なおかつ立派に稼いでいる人には、凡人力など必要ありません。
不況になったからといって、その時初めて「なんでもやります」という人と、
不況だろうがバブルだろうが、最初から「私には何でもやるしか能がないから何でもやります」という人では
果たしてどちらが強いか。
最初から「なんでもやります」といった方が強いにきまっています。
それが、凡人の人の信条であり、コンセプトであり、魂だからです。それが凡人力なのです。
それだけ、自分の可能性やチャンスをせばめているということなのです。
凡人は何でもやるだからたくさんの仕事もできて稼ぐことができるし、次のチャンスも広がるのです。
凡人は、凡人だからといってプライドを捨てることが出来ません。
「自分は凡人力を発揮してなんでもやる」というプライドを持てばいいのです。
その結果、才人以上にたくさん稼ぐことも十分に出来るのです。
人がいやがる仕事がろうが才人をバカにするような仕事でもなんでもやる。
そういえば、つまらないプライドに邪魔されることなどないのです。
「自分は凡人」と気づいた時が最大のチャンス
才能幻想や自己幻想にとらわれている凡人の不幸は、2つあります。
一つは、いつまでたっても届かない才能を求めて一度しかない人生を消耗してしまうことです。
もう一つは、自分が凡人だと気づいたとたん「自分はダメだ」とおもってしまうことです。
自分は凡人だと気づいた時は、本当は最大のチャンス到来です。
とどかない才能を追い求めたり、あるはずのない「本当の自分」を追いかけていると膨大な時間を費やしてしまいます。
しかも、その間。ずっと「こんなはずじゃない」といって、あがけばあがくほど息苦しいし、疲れるし、人生を楽しむ余裕もなくなってしまいます。
自分が凡人だと悟れば、そんなことは一切なくなります。まさに「天才バカボン」のパパのように「これでいいのだ」と言って、
自分の人生を肯定してエンジョイすることが出来るのです。
これは、身体能力に例えれば、よく分かるはずです。
オリンピックのマラソン選手になるような才能がない人は「俺には才能があるはずだ」と言って必死に走っても
42キロを2時間10分で走ることは不可能です。
それでも、必死に走って「くそ、まーた3時間もかかった。」こんな蓮じゃなかったのに」と言って、達成できるはずもない
記録に向かって頑張っていたら、ただ苦しいだけで、そこには何の実りもありません。
自分が平凡だからといって成功することも高収入もあきらめて、余生のような人生を送るのはただの負け犬です。
ただ、「のんびりいこうよ」というのはリアリティがありません。
凡人で大いに結構。無理に背伸びなんかしなくても、凡人力で成功する道もあるよ。
ということなのです。
凡庸を土台に自分の人生を考える。凡人を土台に仕事をする。
それが凡人力の基本なのです。