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  • マクラーレンを試乗してきたのでレビューを行います。

マクラーレン車をみてきた。youtubeでも動画を流してみます。

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これからマクラーレンの車をみてくる youtubeで動画も流せたら流します。

これから、マクラーレンの動画を見てきます。

残念ながら。

試乗は出来ませんが。

マクラーレン車が

どんなつくりなのか拝見してきます。

そして、初のyoutubeで動画を流してみます。

youtube自体は初めてなので。

緊張しますが。

良い動画を取れたらと思います。

マクラーレンの会社に訪問しました。

とても親切丁寧に色んな車の説明をしてもらいました。

車自体は1900万くらいする。

車ばっかりでしたが。

皆さん、ローンを組んで色々と車に乗っているみたいですね。

それにしても、高級車はヤバすぎる。

芽から鱗、仕事を頑張る活力になりますね。

概要

1966年よりF1に参戦し続けている。

1970年にブルース・マクラーレンの事故死後はテディ・メイヤーがチーム運営を引き継ぎ、1980年にロン・デニスが率いる「プロジェクト4」と合併した。

2017年シーズン終了時点で、グランプリにおける優勝回数、ドライバーズタイトル獲得回数、ともにフェラーリに次ぐ歴代2位、コンストラクターズタイトル獲得回数ではフェラーリとウィリアムズに次ぐ歴代3位の記録を持ち、F1を代表する名門チームの一角に数えられている。

その他のレースカテゴリーでは、カナディアン-アメリカン・チャレンジカップ(Can-Am)において1967年から1971年にかけ5年連続でタイトルを獲得した。

インディ500、ル・マン24時間レースにおいても優勝を記録している。

2017年現在、世界三大レースである「モナコGP、ル・マン24時間レース、インディ500」の全てを制したコンストラクター(車体製造者)としても知られている(他にはメルセデスのみ)。

タイトルスポンサーはヤードレー(1972年 - 1974年[注釈 2])→マールボロ(1974年 - 1996年)→ウエスト(1997年 - 2005年シーズン半ば)→ボーダフォン(2007年 - 2013年)と変遷しているが、現在はタイトルスポンサーが不在のため[1]、正式エントリー名は「マクラーレンF1チーム(McLaren F1 Team)」[2]となっている。

歴史

2010年

2010年カナダグランプリワンツーフィニッシュを飾り、ランデブー走行を行う
ドライバーはハミルトンが残留、コバライネンに代わって前年度チャンピオンのジェンソン・バトンが加入した[23]。

革新的なシステムであるFダクトを搭載したMP4-25は高速サーキットで戦闘力を発揮し、ライバルチームの注目の的となった[24]。

シーズン序盤は予選で上位につけることに苦労していたが、難しいコンディションを読みきったバトンが一番乗りに2勝をあげる。その後レッドブルの同士討ちを尻目にトルコ、そしてカナダでハミルトンが2連勝を挙げポイントリーダーになり[25]、中盤以降までシーズンをリードした。

しかし、シーズンもうひとつのトレンドであった、レッドブルRB6が搭載するブロウンディフューザーの開発に苦しみ失速[26]。ドイツGPを境にレッドブルどころかフェラーリにも遅れを取り始めた。

結果的に、バトンはベルギーGPでのセバスチャン・ベッテルに追突されてのリタイヤでタイトル争いから脱落し、ハミルトンもイタリアGP、シンガポールGPの連続リタイアが響きタイトル獲得とはならなかった。最終的にはハミルトンが年間4位(3勝)、バトンが同5位(2勝)となり、コンストラクターズランキング2位で終えた。

2011年

2011年カナダグランプリで大逆転勝利を収めたバトン
ドライバーは引き続きハミルトンとバトン。

開幕前のテストでは走行距離を稼ぐことができずレッドブルやフェラーリの後塵を拝しているとの見方がなされていたが[27]、ハミルトンが開幕直後からトップランナーのレッドブルに食らいつく走りをみせ第3戦中国GPでシーズン初優勝を飾った。

シーズン中盤以降は、ハミルトンがレースでのタイヤの使い方に悩み、接触などの荒いドライビングで非難されていた[28]のとは対照的にバトンの方は安定した成績をあげ、得意とするミックスウェザーで行われた第7戦カナダGP[29]と第11戦ハンガリーGPで優勝を飾った。

結局、このシーズン圧倒的な強さを見せたベッテルの独壇場を防ぐことはできなかったが、ベッテルの戴冠レースとなった第15戦日本GPでバトンが3勝目をあげ、シーズン12回の表彰台獲得という成績で以てフェラーリのアロンソとレッドブルのマーク・ウェバーとのドライバーズランキング2位争いを制し、2年連続でコンストラクターズチャンピオンシップもレッドブルに次ぐ2位となった。

2012年

2012年ドイツグランプリ.
ドライバーはコンビ3年目となるハミルトンとバトンのタッグ。

過去3年とは打って変わって開幕前のテストから好調が伝えられていた[30]。その下馬評通り開幕直後の2レースでは2戦連続でフロントローを独占。

決勝も開幕戦オーストラリアGPにてバトンが優勝し、ハミルトンも3位となった[31]。

予選では好走するもののなかなか結果に結びつかなかった[32][33]ハミルトンも第7戦カナダGPでシーズン初優勝を飾った。

ヨーロッパラウンドに入ってからは徐々に周りに対するペースアドバンテージが失われていった[34]。特にバトンは精彩を欠き予選ではトップ10に飛び込むのにも苦しみ中盤戦の頃にはタイトル争いから脱落した[35]。

第10戦ドイツGPから再びペースを取り戻すと、夏休みを挟んで第11戦ハンガリーGPから第13戦イタリアGPまでチームとして3連勝を達成した。

第14戦シンガポールGPではトップを快走していたハミルトンがリタイヤを喫し[36]、そこからレッドブルの後塵を拝するレースが続きこちらもタイトル争いから脱落した。第19戦アメリカGPでハミルトンが、最終戦ブラジルGPではバトンが勝利を飾り最後の2戦を連勝でシーズンを終えた。

同シーズンダブルタイトルを獲得したレッドブルに匹敵する成績を残し、データによってはマクラーレン・MP4-27は最速マシンという評価もあった[37]。にも関わらず前半戦はピット作業のミスが頻発し[38]、中盤戦に入ると信頼性トラブルが続いたことが両タイトルを遠ざけてしまった[39]。

最終的にドライバーズランキングではハミルトンが4位、バトンが5位。コンストラクターズでは1位どころかフェラーリに抜かされて3位に転落してしまった。

2013年

セルジオ・ペレスがドライブするMP4-28(2013年マレーシアGP)
ハミルトンがメルセデスへ移籍し、代わりにザウバーからセルジオ・ペレスが加入。

またスポンサー面でもボーダフォンが同年限りでのスポンサード終了を発表する一方で[40]、メキシコ人であるペレスの支援目的でテルメックスなどメキシコ系企業が新たに加わるなど、チームラインナップに大きく変化が見られた。

また同年5月には、2015年まで契約が残っていたメルセデスとのエンジン供給契約を1年前倒しして2014年一杯で終了し、2015年からはホンダエンジンの供給を受けることを発表した。ホンダは2008年の撤退以来7年ぶりの復帰となる。

この年はバトンが最終戦ブラジルGPで記録した4位が最高で、表彰台がゼロとなる1980年以来の大不振に終わった。

コンストラクターズランキングではレッドブルが独走し、メルセデス、フェラーリ、ロータスが2位争いをする一方で、マクラーレンは大差をつけられた5位であった。ドライバーズランキングではバトンが9位、ペレスが11位。なお、完走扱いを含め、両ドライバーとも全戦完走を果たした。

シーズン終盤の11月、ペレスがわずか1年でチームを離脱[41]、後任として育成ドライバーのケビン・マグヌッセンを起用することが発表された[42]。

ウィットマーシュによると新人であるマグヌッセンの下積みとして下位チームのシートを探したものの、あるチームに契約を破棄され、ペレスを放出してマグヌッセンを自チームに起用せざるを得なかったとのこと[43]。

2014年

1月16日、ロン・デニスがマクラーレン・グループのCEOに復帰し、F1チームをその権限下に置くことを発表[44]。

さらに2013年までロータスのチーム代表であったエリック・ブーリエがレーシングディレクターとしてチームに加入することが発表された。正式加入は2月3日[45]。

当面チームは、チームCOOのジョナサン・ニールとブーリエが共同で代表を務める[46]。一方で前チーム代表のウィットマーシュについては、チームのWebサイトから名前が消え事実上更迭されたものの去就が不明となっていたが[47]、同年8月に正式に離脱が公表された[48]。

ドライバーはバトンが残留。パートナーはペレスに代わりケビン・マグヌッセンが起用された。

またリザーブドライバーとしてストフェル・バンドーンが起用された。

[49]
この年は開幕戦オーストラリアGPこそマグヌッセンが2位、バトンが3位と2人のドライバーが2012年ブラジルGP以来となる表彰台を獲得するも、2戦目以降はバトンの4位が最高で表彰台圏内に入ることなくシーズンが終了した。

7月には最古参のスポンサーであるヒューゴ・ボスがメルセデスの支援に切り替えると発表された。

シーズン終了後の12月11日、フェラーリからアロンソが8年ぶりにマクラーレン復帰が決定した。なお、マグヌッセンはリザーブドライバーとして残留。

2015年 - 2019年
2015年

2015年マレーシアGPでのアロンソ(No.14)とバトン(No.22)
ドライバーはバトンが残留。フェラーリからアロンソが2007年以来のチーム復帰。前年、レギュラードライバーだったマグヌッセンはリザーブドライバーとなった。

また、パワーユニットは20年間使用し続けたメルセデスから予定通りホンダへと変更された。ホンダのF1復帰は2008年以来、マクラーレンがホンダエンジンを搭載するのは1992年以来となる。

だが、V6ターボエンジンとERSシステムに苦しみ、ヘレスのテストで、アロンソがクラッシュするなどランキングは下位に低迷。だが、そんな中でもモナコでバトンがホンダエンジン勢初入賞を決めると、イギリスでアロンソが、ハンガリーでは悲願のダブル入賞を決めた。

ただ、パワーの劣るマシンを走らせるアロンソとバトンはフラストレーションが溜まる一方で、カナダGPではチームからの(パワー不足のため)燃料をセーブせよという無線の指示にアロンソが「こんなドライビング、まるでアマチュアのようじゃないか。

僕はレースをする。

燃料のことは後で集中するから」と断り[50]、日本GPでもアロンソが無線で「GP2エンジン! GP2!」とパワー不足のエンジンに不満を漏らした[51]。

コンストラクターズ選手権9位とチーム創立以来ワーストの結果となってしまった。

それでも最終戦では、バトンがホンダエンジンよりも圧倒的に性能の優れているメルセデスエンジンを搭載するウィリアムズのバルテリ・ボッタスをおさえたりアロンソがレース中のラップタイムで3番目に速いタイムを出すなどシーズン前半と比べると性能が向上していることが伺えた。

同年限りでリサーブドライバーを務めていたマグヌッセンがチームを去りルノーへ移籍した。

この年をもってポルシェ時代からチームのスポンサーを続けていたタグ・ホイヤーがレッドブルにスポンサー先を変更した。翌年からモエ・エ・シャンドンがスポンサーとなり、「CHANDON」のロゴを掲示することになった。

2016年

2016年マレーシアGPの予選に挑むアロンソ
ドライバーはアロンソとバトンが残留。

開幕戦オーストラリアGPでアロンソがエステバン・グティエレスとの接触で大クラッシュを喫し肋骨骨折と肺虚脱を患ったため[52]、次戦バーレーンGPはリザーブドライバーのストフェル・バンドーンが代走することになった[53]。同GPがデビュー戦となったバンドーンが10位入賞を果たし、チームに今シーズン初のポイントをもたらした[54]。

なお、アロンソは第3戦中国GPで復帰を果たしている[55]。

第4戦ロシアGPでアロンソが6位、バトンが10位となりダブル入賞を果たした。第5戦スペインGPではアロンソがマクラーレン・ホンダ復活後初のQ3進出を果たした。

続く第6戦モナコGPでもアロンソがQ3進出、決勝ではアロンソが5位、バトンが9位に入り2度目のダブル入賞。オーストリアGPでは、天候がめまぐるしく変わる中で、バトンが予選5位を獲得し前車2台のペナルティにより3番手スタートとなった(決勝は6位入賞)。

ハンガリーGPではアロンソとバトンが揃ってQ3進出を果たした。

ベルギーGPではアロンソが最下位スタートからスタート直後の混乱をかいくぐり一時4位まで浮上。

パワーコースのスパ・フランコルシャンで最終的に7位入賞を果たした。

続くイタリアGPではポイントこそ獲得できなかったものの、アロンソがファステストラップを記録するなど着実な進化を見せた。

最終的にドライバーズランキングはアロンソ10位、バトン15位となりコンストラクターズランキングは6位となった。この年をもってバトンが引退した。

勇退したロン・デニス(2016年)

一方、1980年からチーム運営に関わっていたロン・デニスが11月15日に行われた株主総会を受け、マクラーレン・テクノロジー・グループの会長兼CEOを辞任した[56]。

後任のCEOが決まるまでの運営は多数株主から成る執行委員会が暫定的に引き継ぐ[57]。

同月21日、ザク・ブラウンがエグゼクティブディレクターの職に就くことに同意し、翌月正式に就任すると発表した[58]。なお翌年デニスは手持ちのチームの株式を全て売却し、37年に及ぶマクラーレンとの関係を完全に解消した[59]。

メキシコGP前に、翌年からこの時点で最も大口スポンサーだったモービルが離脱し、レッドブルへの支援に切り替えると発表された。

2017年
アロンソが残留し、バンドーンがレギュラーに昇格。

引退したバトンはアンバサダーというかたちでチームに残留[60]。

元チャンピオンのミカ・ハッキネンがアンバサダーとしてチームに復帰した[61]。

ロン・デニスの離脱に伴い、マシン名称がMP4からMCLに変更され「MCL32」となった[62]。なお、燃料メーカーがモービルに代わり、BP/カストロールとなる[63]。

プレシーズンテストでホンダPUの信頼性およびパワー不足が露呈し、ホンダとの関係悪化[64]が露呈した。

不協和音を抱えつつも、開幕戦オーストラリアGPではアロンソがサスペンションのトラブルでリタイアするまで入賞圏内の10位を走っていたが、アロンソは「通常のコースなら僕たちはもっとも遅いだろう」と酷評している[65]。

4月12日、アロンソはインディ500への参戦を表明し[66]。

日程が重なる第6戦モナコGPはバトンが代走を務めることになった[67]。

その直後の第3戦バーレーンGPではホンダPUのトラブルが連日発生する事態となり、バンドーンはスタートすらできず[68]、アロンソも「こんなパワー不足でレースをしたことはない!」と無線で叫ぶほどの状況の中走行したが[69]、完走目前でエンジントラブルが発生してリタイア(14位完走扱い)した[70]。第4戦ロシアGPでもバンドーンはフリー走行初日に、アロンソは決勝前のフォーメーションラップでERSのトラブルが発生しスタートできなかった。

スペインGPではアロンソが予選7番手を獲得するが決勝では接触などで順位を落としてしまい12位フィニッシュ。

この時点で唯一のノーポイントチームとなってしまった。

アロンソが欠場したモナコGPは予選でバンドーンとバトンが揃ってQ3に進出したが、決勝は両者リタイアで終わり、2015年のチームワーストを更新する開幕6戦ノーポイントとなった[71]。

第7戦カナダGPではアロンソがレース終盤まで入賞圏内の10位を走行していたが、パワーユニットにトラブルが発生して入賞を逃した。

アゼルバイジャンGPでアロンソが9位に入り、ようやくシーズン初ポイントを獲得した。

PUを一新した MCL32
だが、ベルギーGPではレースパフォーマンスに対する不満を無線で繰り返し訴え、雨が降らないことを確認すると突如エンジントラブルを訴えてリタイア。

これについて「アロンソがパフォーマンスの低さに嫌気が差して故意にリタイアした」との疑念が持たれるも否定するという一幕があった[72]。

シーズン後半になるとアロンソはホンダPUを擁護する一面がなくなり[73]、アロンソはレース後に「ホンダエンジンでなければフロントローを取れた」と発言[74]を筆頭に政治的な駆け引きが目立つようになり、ホンダPU批判かつマクラーレンのシャシーへの称賛へ傾注していくようになる。

また、チーム残留の条件としてちらつかせるなど[75]して暗にエンジン変更を強要するような姿勢を打ち出した。

シーズン前半にも双方言葉を濁していたがPU変更の噂はあった。だが、シーズン後半になるとマクラーレンはPU変更に向け積極的に動き出す。

当初はホンダとザウバーが仮契約を結んだことを受け[76]、これに合わせてマクラーレンもホンダと手を切ると噂されていたが、ザウバーはギアボックス供給問題などのマシン開発に影響が出るリスクを許容できなかったため[77]、ホンダとの契約を破棄。

その後、他のPUの供給を打診するも、メルセデスとフェラーリはこれを拒否[78]。

残るはルノーのみだったが、すでにルノーは3チームに供給しておりレギュレーションにより3チームを超えて供給することが制限されているため、ルノーが4チームへの供給に難色を示したこともあって供給を受けるには他のチームがルノーとの契約を破棄する必要があった。

しかしトロ・ロッソがホンダPUを搭載するとの噂が流れると、そのトロ・ロッソが現在契約しているルノーPUをマクラーレンが手に入れることができる可能性が出てきた[79]。

トロ・ロッソにすればホンダからのPU独占供給およびワークス待遇を受けられ、さらに親チームのレッドブルにも将来的にホンダからのワークス待遇を受けられる見込みもあり、三者にとって都合のいい展開であった。しかしルノー側はトロ・ロッソとの契約終了の代わりにカルロス・サインツJr.の獲得を要求したこともあり、状況が複雑化。

そして第14戦シンガポールグランプリのフリー走行1回目の後に、ホンダとの契約を2017年いっぱいで解消することが発表され、同時に2018年からルノーのワークス仕様パワーユニットの供給を受けることが発表された[80](同時にサインツのルノーへの「レンタル移籍」、ホンダとトロ・ロッソの2018年からのPU供給契約も発表)。

パワーユニット変更を発表したシンガポールGPと次のマレーシアGPでバンドーンが7位入賞を果たした。アロンソは終盤3戦で連続入賞を果たし、辛うじてバンドーンのポイントを上回った。

かつて一時代を築いた「マクラーレン・ホンダ」の復活は、ホンダPUのパフォーマンスの低さにマクラーレンが我慢の限界で手を切るという形となり、3年で幕を閉じるという不本意な結果に終わった。

シーズン終了後のブーリエのコメントによれば、プレシーズンテスト終了の段階で2016年シーズンの結果より後退することが避けられないと判断[81]し、契約打ち切りの方針を決意したと語っているが、マクラーレン陣営に問題がなかったとは言えなかった。

バーニー・エクレストンは「いろんなことがうまくいかなかったのはホンダのせいではない。

マクラーレンのせいだ」と指摘、「毎日毎日、彼らは協力して働くのではなく、あらゆることで戦いをしかけていた。愚かなことだ」とマクラーレン側の態度を批判[82]。

実際、シーズン前半もマクラーレン側は表向きはホンダと協力して行く姿勢を見せ[83]、長期契約の関係もあり、提携解消は最後の手段であるという内容を示唆するだけに留めながら、裏では他のPUメーカーと交渉する姿[84]や他のPUを積んだマシンの設計図を公開してホンダに圧力をかける[85]など、ホンダに対して信義にもとるような言動をしていたのも事実であった。

他にも、ホンダに対しPUの設計に条件をつけたことで生じた問題を軽視し、ホンダの財政支援やマクラーレンの要求に答えたPUのメリットを軽視する姿勢に対する批判[86]。

マシンのセットアップの苦戦やマクラーレン側が担当する箇所の問題[87]を認めないマクラーレンの姿勢やその責任をホンダ側に押し付ける言動[88]。

また、アロンソは政治的駆け引きの一環でホンダばかり批判しているという見方もある[89]。

アロンソが参戦するインディ500は、アンドレッティ・オートスポーツの協力の下「マクラーレン・ホンダ・アンドレッティ」のエントリー名で戦うことになった[90]。

形は大きく異なるが、1979年以来38年ぶりにインディ500でマクラーレンの名が復活することになった。

アロンソは初参戦で予選5番手となり、決勝でも27周でラップリーダーとなったが、ここでもエンジントラブルが発生しリタイアとなった[91]。
2018年

不振に終わったルノーエンジン搭載車 MCL33
ドライバーはアロンソとバンドーンが残留。

燃料メーカーはペトロブラスとスポンサー契約。

開幕前のテストではシャシー関連のトラブルが多かったうえ[92][93]、初歩的なトラブルもあり[94]、アロンソは速さを見せたものの、満足な周回をこなせなせずにテストを終えた。そのため、マクラーレンに対し疑念を抱くメディア[95]がこの頃から存在していた。

開幕戦オーストラリアGPではアロンソが5位、バンドーンが9位とダブル入賞。

第5戦まで連続入賞を果たし、チームが本命と称する「Bスペック」を導入した第5戦でアロンソが今季初のQ3進出を達成した。

第5戦までは一定の成績を記録していたものの、第7戦の予選の不振をきっかけに不調に陥り始め、前年ホンダに全責任を押し付けてきた(=シャシー性能だけは高いと考えていた)マクラーレンに対し「実際はシャシーにも不振の原因があったのでは」という疑念の目が向かれ始める[96]。

アロンソは2017年はシャシー関連を賞賛しながら、同年のマレーシアGPの後に2018年はレッドブルと比較されることになるというコメント[97]やブラジルGPの予選後にはチームのセットアップの方針に対し、メディアに録音されないように不満を述べる[98]など冷静な一面を見せていた。

そして、フランスGP予選の終了後にアロンソが前年のPU批判から手のひらを返すように「クルマが遅いんだよ」とチーム側をストレートに批判[99]している。

また、バンドーンも前年はチームを擁護する発言をしていたが、スペインGPのリタイアをきっかけにチームの擁護はしなくなり[100]、モナコGPでのレース戦略について批判[101]したのをきっかけにチーム批判が目立つようになり、特に彼の方にマシンに関するトラブルが集中したため、アロンソ以上にマシンを酷評している発言が目立っていた[102]。

そのうえ、チームも前年の豪語から一転して予防線を張るような発言[103][104]が増え、チームの公式Twitterにも世界中のファンから不振に対する批判の声が続出した[105]。

更迭されたエリック・ブーリエ(左) 右はザク・ブラウン
シーズン中、元F1ドライバーで解説者のジョリオン・パーマーは、パフォーマンス、信頼性、コストの3つの観点から「(マクラーレンは)高い金を払って恥を晒しただけ」と評し[106]、元代表のウィットマーシュはチーム内に不協和音が生じているとする一部報道を認めた上で、「マクラーレンは取り組み方を大きく変える必要がある。主要メンバー間に政治的なしがらみが多過ぎる。

私は、彼らの多くはチームを去るべきだと思っている」とコメント[107]。

前年まで在籍していたバトンも「非常に良いシーズンを送っている」と前置きした上で「“F1でベストのシャシー”と豪語したことで、期待外れの印象を与えている」とチームの姿勢に苦言を呈している[108]。

7月4日、レーシングディレクターのブーリエが更迭され、ジル・ド・フェランがスポーティングディレクターとしてチームを統括することが発表された[109]。

8月14日、アロンソは「2019年シーズンはF1に参戦しない」ことを表明し、今季限りのマクラーレン離脱が確定。F1に復帰する意志はないと表明[110]しながらも、後日「F1引退」という表現は用いずに将来のF1復帰の可能性に含みを持たせる言動[111][112]が続いており、シーズン中は2019年のF1世界選手権に関わらないことを明言しただけにとどまった。

8月16日、アロンソの後任にカルロス・サインツの起用が発表。9月3日にはストフェル・バンドーンの当季限りでの放出と、その後任としてランド・ノリスの起用[113]が相次いで発表された。

最終的にはホンダPUの交換先となったトロ・ロッソに対し、成績面では勝利。コンストラクターズもアロンソの活躍もあって、前年の成績を上回り、何とか面目を保ったものの、「PUを替えても勝てない」という状況に世界中からの批判にさらされた。

また、同じPUを積むレッドブルとルノーに明確な差があることを突き付けられ、Q3進出回数ではトロ・ロッソに敗北。むしろシャシー設計とチーム体制に問題があることを立証してしまうなど、決して手放しに喜べる結果とは言えないシーズンとなった。

2019年

昨年から向上した MCL34
ドライバーは発表されていた通り、カルロス・サインツとランド・ノリスのコンビとなる。

アロンソはチームアンバサダーとして残留し、2年間のテストドライバー契約を結んだ[114]。

開幕後の3月25日にジェームス・キーがトロ・ロッソから移籍し、テクニカルディレクターに就任した[115]。2017年までポルシェで世界耐久選手権(WEC)のLMP1プログラムを率いていたアンドレアス・ザイドルが5月1日にマネージングディレクターに就任した[116]。

スポンサーはコカ・コーラが前年終盤から継続しているほか、バージボード上部とフロント翼端板にブリティッシュ・アメリカン・タバコ(BAT)が宣伝プログラム「A Better Tomorrow」のロゴを掲載。タバコ広告が厳しいオーストラリアはセブン-イレブンを掲載・これは置換えに限らない大口スポンサーだったが、他のレースでもスポットスポンサーに場所を空け渡す場合が多い。

前年度マシンの開発を早期に諦め、今季のマシン開発に注力した事が功を喫し、プレシーズンテストでは安定的な記録を見せ、開幕戦ではノリスがキャリア及び今季チーム初の予選Q3進出を達成。

決勝こそサインツのマシントラブルによるリタイア[117]と躓くが、第2戦ではチームとしては久々となる2台そろっての予選Q3進出を達成[118]。

同決勝ではノリスが6位となり、今季のチーム及び自身のキャリア初入賞を飾った。また、第4戦では久々のダブル入賞を達成した。その後もトップオブザレストの位置に度々付けている。

シーズン終盤に大口のスポンサー・ペトロブラスとの契約解消[119]。

2021年より再びメルセデス製PUの供給を受ける事が決定した[120]。

アロンソのインディ500再挑戦に向けてカーリン・モータースポーツ(英語版)と技術提携を結ぶものの、マクラーレン独自の体制で参戦[121]。しかし、プラクティスでのクラッシュなどでマシンが仕上がらず予選落ちを喫した[122][123]。

資本

F1以外の活動は別会社が行っており、マクラーレン・グループを構成している。

2000年1月、当時メルセデス・ベンツの親会社であったダイムラー・クライスラーが、グループの所有権を40%取得。事実上、マクラーレン・グループはダイムラー・クライスラーグループの一員となっている。

残りの60%をロン・デニスとサウジアラビア人の大富豪であるマンスール・オジェが所有してきたが、ダイムラー・クライスラーがこの残りの60%の株式を取得し、メルセデス・ベンツが単独でのF1参戦を目指しているのではという噂が根強かった。

2007年1月にバーレーン王国所有のバーレーン・マムタラカト・ホールディング・カンパニーがロン・デニスとマンスール・オジェの保有する株式のそれぞれの半数を取得した。

この結果、ダイムラー・クライスラーが40%・バーレーン・マムタラカト・ホールディング・カンパニーが30%・ロン・デニスとマンスール・オジェが15%ずつと保有比率が変化している。

2009年11月にメルセデス・ベンツとマクラーレンのパートナーシップ解消が発表されたことに伴い、メルセデス保有分の40%の株式については2011年までにマクラーレン側が買い戻すことが発表されている。なお買い戻し価格や、買い戻した後の株式の扱いについては公表されていない。

なおマクラーレン側の買い戻しの結果、2010年3月現在でメルセデス側の持株比率は約11%にまで低下している[131]。

2016年11月にロン・デニスの退陣が決まった時点の株式保有比率は、デニスとオジェが25%、マムタラカトが50%となっていた[57]が、デニスは翌2017年6月に全株式を売却した[132]。

マクラーレン 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 より引用

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